2005 December 〜12月〜

12/2 Fri. 『輸出量増加か!?』

農水省が輸出促進のためのロゴマークを作った。日本の食料は美味しいというPRらしい。 海外のメディアを見ると、日本は当然アジアとして扱われている。そして、当然中国と同じアジアである。 中国は欧米において、人権の問題がよく取りざたされるが、以前、日本の府中刑務所のことが アメリカのニュース局に取り上げられていた。しかも、その日の日本のニュースはそれしか見当たらなかった。 日本は今だ不景気(!?)であるとはいえ、先進国であることは間違いない。しかし、経済のニュースでなく、人権のニュースだけが 取り上げられていた。「欧米諸国は日本のこと、アジアのことを未開の野蛮な地域くらいに捉えているのだろうか?」とふと思った。 まぁ、それならそれでいい。僕は、中国のことは嫌いではない。だが、アメリカのメディアでは、日本も中国のように人権問題がトップニュースにきていた ことに愕然とした。僕は、日本を中国と差別化できる一つとして『食料の生産方法・味』があると思う。日本は製品の加工で先進国への仲間入り を遂げたことはいうまでもないが、『農』だって立派な方法を確立している。この部分を世界にアピールし、日本の新しいイメージを作って 行って欲しい。というか、僕がします。
ロゴマーク→

12/5 Mon. 『GMO(Gene Modified Organization) 〜遺伝子組み換え作物〜』

遺伝子組み換え作物(以下、GMO)と聞いて「む?」と拒否反応を起こす日本人は以外に多いと思う。 それは、食品産業の遺伝子組み換え作物に対する姿勢を見れば分かる。そのことについて書きたいと思う。
日本では、1996年に遺伝子組み換え食品の輸入が許可された。 そして、5年遅れの2001年4月よりJAS法に基づいて、遺伝子組み換え食品に関する表示規制が開始された。この空白の5年間はなんだろう。 これは、遺伝子組み換え大国であるアメリカ合衆国の意向に配慮していたことが容易に想像できる。GMOが危険か危険でないか の議論は学者に任せる。というより、それは人体に対しての事故が起きない限り言い切れる問題ではないし、事件が起きたとしても因果関係を 完全に結びつけることは難しいだろう。そのことを考えると『結論のない議論』である(しかし、無駄というわけではない。)。 それよりも、遺伝子組み換え食品が世界の政治の舞台でどのように使われているかが重要な問題である。2002年の時点で、GMOでの作物生産 の比率は
米国66%
アルゼンチン23%
カナダ6%
中国4%
その他1%
である。そして、アルゼンチンやカナダには米国のアグリビジネスが進出しているので実質的な数字としては米国が9割のシェアを占めている といっても過言ではない。ニュースでたまに聞く内容だが、EUはGMOの食品は受け入れないと表明している。そのことにたいして、米国は 圧力をかけている。その方法は見かけ上『善』である間接的手法が用いられているように見える。米国が行う世界の飢饉への援助はGMO食品 も混入してある。では、その援助の受け入れ側の国が、普段は農作物の分野においてEUの取引相手国(輸出国)だとしたらどうなるだろう。 もちろん、EUはその国からGMO食品混入の可能性があることを指摘し、今度の取引先になってもらえない可能性が出てくる。 そうなってはまずい。これを米国はGMOを受け入れさせる大儀として押し付けてくる。援助される側からすれば、 米国のテリトリー(GMO推進側)に入らないと、飢餓で人が多くなくなることとなる。こう考えると食料は兵器にもまさる武器だ。 また、一度、GMOが入り込んでしまうと、「なんかよく分からないし、まぁ、いいや。」という雰囲気すら漂いかねない。 それこそが米国の狙いだと感じる。米国が言うには、「遺伝子組み換えによる生産力の向上こそ世界の飢饉を無くす方法である」らしい。 僕達が日常目にする「遺伝子組み換えでない」等の表示はJAS法では義務づけられていない表示であり、メーカー・生産者による 「非遺伝子組み換えブランド」をアピールしている経営戦略上の方針である。このことから、最初に書いた日本の食品産業の姿勢が読み取れる。 あなたはどっちを選びますか。
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12/12 Mon. 『有機農産物の定義』

まず、有機農産物とはなんだろう。一般的に今日では、有機農法と聞くと 多くの人は『善』なイメージなのではないだろうか。ここで使われる『有機』という言葉にはいろんな意味が含まれている。 「スーパーなどでよく見かける言葉だけど、本当のところよく分からない」 って人は意外に多いのではないだろうか。有機農産物の定義を以下に示す。
有機農産物 (認証義務あり) 有機農産物
化学合成農薬、化学肥料、化学合成土譲改良材を使わないで3年以上経過し、
たい肥など(有機質肥料)による土づりを行った圃場において収穫された農産物。
転換期間中間有機農産物
上記で転換期間が3年未満6ヵ月以上の圃場において収穫された農産物。
特別栽培農産物化学合成農薬と化学肥料の双方を慣行の50%以上節減していること。
僕が思うに、これは曖昧な境界で(6ヵ月から3年未満は全て同じカテゴリーになる。というように。)定義されている。 「有機栽培で育てた作物は美味しい。」というのは精神的な作用であって、科学的に証明されているわけではない。 有機物を直接吸収する植物もあれば、無機物を吸収する植物もある。ただ、有機栽培で一番僕らにとってプラスになるのは、 「無農薬」「たい肥を使うことによる循環型」という点だと思う。「無農薬栽培」を行うと確かに、生産量が落ちることは 避けられない。しかし、それと引き換えに安全な食物を与えてくれる。また、「たい肥を使うことによる循環型」の農業 を行うことにより、その土地で長く農業ができるという持続可能な生活を約束してくれる。(sustainability) これが、本当の有機栽培の評価するポイントではないだろうか。「有機栽培=善」→「身体になにやらよさそう。買えば、 いいことしている気分になる。だから、お金をいくらでも出す。」ではなくて、その評価のポイントを知ることから有機栽培の 意義を感じてもらいたい今日この頃です。

12/19 Mon. 『科学者と経営者と政治家』

今日の大学の授業でレイチェル・カーソンについてのビデオを見た。レイチェル・カーソンとは、 環境問題に関わる学問を専攻としている人達にとっては聞いたことのない人はいないと言っても過言ではない人物だ。 彼女は、アメリカのペンシルベニアに生まれ、1960年代に環境問題を告発した生物学者である。アメリカ内務省魚類野性生物局の 水産生物学者として自然科学を研究。当時、州当局が積極的に散布していた農薬の蓄積が環境悪化を招くことはまだ顕在化しておらず、 その啓蒙活動を行った彼女の意義は大きかった。特に、1962年に発表した『沈黙の春』は、農薬類の問題を告発した 書として米国政府にまでその衝撃が伝わった。本書を基にケネディ大統領は大統領諮問機関に調査を命じた。 これを受けアメリカ委員会は、1963年農薬の環境破壊に関する情報公開を怠った政府の責任を厳しく追求。 DDTという農薬の使用は以降全面的に禁止され、環境保護を支持する大きな運動が世界的に広がった。簡単に言えば、こんな人である。 彼女の行った、農薬の危険性の暴露はその時代の農薬産業などにとっては自分達の存在を脅かすものだった。それゆえ、そんなデータを 上げる彼女のことを中傷するような表現がマスメディアを通じてしきりに行われた。しかし、彼女は負けなかった。想像でしかないが、 彼女を支えたものは、「真実を伝える信念」だったと考えられる。
ビデオの内容は「科学者の栄光」に光が当てられていたように思われる。確かに、そうだ。現在、こうやってPCでHP を見れるのも科学の恩恵であり、それをもたらす科学者の存在は不可欠だ。(日常には科学が溢れている。) しかし、レイチェル・カーソンの偉業をプラスのこととして世に伝えたのは、「農薬産業からの訴訟に備え、 自社に多額の保険まで掛けて出版を行った出版社」「科学者の報告を重要だと受け止めた ケネディ大統領」、であり、この存在なしには行われなかった。
そして、僕のスタンスはまさにそのような「つなぎ目」的な存在であることだと再認識した。なぜなら、 僕より優秀な人がこんなにいる世の中で僕ができることといえばこれかな、と思うからだ(笑) 「日本の食料自給率を上げる」なんて言うと、周りには偽善だとか、曖昧すぎるとか言われる。 でも、それは、いい仲間を持ったから得られる助言だと受け止めている。実は、「日本の食料自給率を上げる」というのは、 目的達成のための目的である。真の目的は『いい仕事をしている日本の農家に適切な評価を与えたい』ということだ。 日本でどれだけ農薬の制限をしようが、日本が食料を海外に依存する限り食の安全性は不透明である。 それは、海外でどれだけ農薬を使ったかを記述するのは海外の政府などの指導の下に行われるからだ。 僕が目指したいのは、鎖国じゃない。ただ、適切な評価をされやすい状況作りだ。そのための「農家と消費者つなぎ目」 にだったら喜んでなりたいと思う。
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12/23 Fri.   『疲れる生き方』

昨日友人に言われたこと。

『お前の生き方って疲れない。』

一瞬返答に困った。「僕の行き方。それって何だろう・・・。」 そう言われた瞬間に、自分という存在、 いや、正直に言うと自分の日ごろの行動が走馬灯のように脳内を走った。
そのセリフが言われたきっかけは、「焚き火をしたときに、環境保護団体のNPOの職員が食品のトレーも一緒に燃やして いたこと」について、

「そんな団体に所属しているのに、なぜ、 そんなことするっちゃろ」と発言したことだった。 (食品トレーなどを低温で燃焼するとダイオキシンが発生し、汚染となる。)

人間である僕らが「環境保護をしよう」なんて考えたときに、

「僕らの存在自体が環境を壊していること」にやがて気がつく。

でもそれは、本質的な視点から言うと、どういう環境が最適なのかを地球や宇宙に聞かないと分からない問題だとも言える。 ここまでくると哲学になるけど(笑)
でも、僕は今哲学の話をしようとしているのではない。悲しいけど、生きるうえで矛盾は必ず付きものだと思うからだ。 だから、「僕らの存在」という、環境問題を考える上での矛盾点は哲学的に考えるんじゃなくて、 リアルな問題、当たり前のもの、として受け入れて話を進めたい。 そして、論点になったのはまさにその「矛盾」についてだった。彼には、僕があまりにも「理想主義」のように 思えたようだった。いや、それは、断固違う。

僕が言いたいのは、「『僕らが生きていること自体が環境を壊す』という矛盾は受け止め、自分のスタンスを決めたなら、 それを裏切らないように生きることが大事」ってことだ。

だから、環境保護のNPO職員である人が、そういった行為をしたというのが 許せなかった。この思考がたとえ、『疲れる生き方』だとしても、僕はそれをやめることはできない。 それは、ある意味頑固な生き方なのかもしれないけど、「学び続け、悩み続け、自分の中に答えを求め続ける姿勢」 があれば、理念は強固だが、思考は柔軟だという形になると思う。

『疲れる生き方』・・・僕は最高だと思うけどな。









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